山下公園に停泊している「氷川丸」。国の重要指定文化財であり、土曜・日曜・祝日にはオープンデッキが開放されています。
この氷川丸は、どこで建造されたか知っていますか? 今は多くの人が買い物やレジャーで訪れる、あのエリアで造られたのです。
今回は、ひとつの歴史案内板から、氷川丸誕生の歴史に迫ります。
氷川丸の誕生秘話がわかる、歴史案内板
みなとみらいにある横浜美術館の近くに、興味深い歴史案内板があります。この案内板には、山下公園に停泊保存されている船である「氷川丸」の誕生秘話が書かれているんです。
横浜市民であれば、氷川丸の名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。横浜の歴史を伝える貴重な文化遺産であり、国の重要指定文化財でもある貨客船(旅客と貨物を同時に運ぶ船)です。
今は、貨客船としての役目からは引退し、土曜・日曜・祝日には、オープンデッキが一般開放されています。
まずは、氷川丸の歴史をひも解いてみましょう。
日本とシアトルを航海していた氷川丸
氷川丸は、1930年に、日本郵船株式会社が建造しました。日本と、アメリカ西海岸にあるシアトルを航海するための船として、戦争で航路が休止になるまで運行していたそうです。
船が海外へ行く唯一の手段だった時代ですので、「喜劇の王様」と呼ばれた俳優チャップリンなど、多くの著名人が氷川丸に乗ったそうです。
その後、第二次世界大戦が始まった1939(昭和14)年に、シアトルへの航路は休止に追い込まれました。戦争によって氷川丸はその役割を変え、負傷した人を日本に帰国させるための、特設病院船として使われることになります。客室をはじめ大部分が改装され、治療のための設備や病室が設けられました。
その後、戦争が終わり、1950(昭和25)年にシアトルとの定期航路がようやく再開。貨客船として、多くの人や貨物を運び、1960(昭和35)年まで活躍し続けました。
氷川丸は、今のみなとみらいで建造
先ほどご紹介した歴史案内板によると、氷川丸が建造されたのは、現在の横浜美術館前、グランモール公園あたりだったそうです。
今は買い物をする人や住民でにぎわうみなとみらいですが、明治時代には、船舶を修理する設備があったようです。
大正時代に入ると船舶を修理するだけでなく造るようにもなり、今の横浜美術館前に、造船をするための船台があったとのこと。60年間で、氷川丸をはじめ700隻を超える船が建造されたそうです。
横浜で船を造っていたのは、横浜船渠(せんきょ)という会社。現在の、三菱重工業横浜製作所です。歴史をさかのぼると、横浜船渠は1889(明治22)年に設立されました。イギリス人の技師H.S.パーマーが、横浜港湾の発達には船渠(ドッグ)や倉庫などの設備も欠かせないと説き、実業家である渋沢栄一と地元の財界人によって作られた会社だそうです。
案内板には、氷川丸建設地をはじめ、かつて造船にかかわった設備と、現在の建物との位置関係が記されています。
第一号船渠(ドッグ)付近は、今は日本丸メモリアルパークとなり、氷川丸と同じく国の重要指定文化財である「帆船日本丸」が保存・公開されています。
ランドマークタワーあたりに第二号船渠(ドッグ)があり、クイーンズタワー付近は海だったようですね。
そして、案内板の左上をみると、氷川丸が造られたのは横浜美術館前あたりであることがわかります。
こちらの写真は、横浜美術館です。大規模改修工事が行われているため、2024年3月まで休館しています。かつては、ここで造船がされていたとは驚きですよね。
美術館の周辺は、商業施設「MARK IS みなとみらい」や、2023年5月に開業した「三井ガーデンホテル横浜みなとみらいプレミア」、ライブやイベントが行われる「パシフィコ横浜」など、多くの人が集まるエリアに変貌しています。
みなとみらいを散策し、氷川丸のオープンデッキへ
買い物やレジャーとして訪れることの多いみなとみらいエリアですが、歴史的視点で見て巡るのもおもしろそうです。
休日には、氷川丸が造船されたみなとみらいエリアで買い物などを楽しんでから、山下公園へ移動し、氷川丸のオープンデッキへ行ってみるコースもおすすめ。オープンデッキからは、みなとみらいの風景も一望できます。
また、貨客船だった氷川丸には、客室がある「客船エリア」や、乗組員が仕事をしていた「乗組員エリア」があり、見学することができます。
中でも、チャップリンをはじめ、特別なお客様が使った「一等特別室」は見ごたえがあります。船の上にいるとは思えないほどの豪華なつくりの客室を見ることができます。壁絵などは、竣工当時の姿がそのまま残されているそうです。
みなとみらいエリアから山下公園へ移動する際は、みなとみらい線で、元町・中華街駅からみなとみらい駅へ1駅だけ電車に乗ると、スムーズに移動できます。ぜひ、家族や友達と出かけてみてくださいね。
【スポット情報】
氷川丸建造の地
住所: 横浜市西区みなとみらい3
ライター名 御代 貴子
プロフィール 横浜に何かと縁があるフリーライター。幼少期の夏休みは横浜の親戚の家で過ごし、大学生活も横浜で送る。現在も神奈川県在住。東北の港町で育ったせいか、海辺の街並みが好き。趣味は飲酒しながらの料理。